「模範的な幸福」の呪縛

 職場復帰してから約2週間が経過した。意外にも上手くやれている実感がある。もちろん、復帰直後の平社員なので大それた業務の遂行に関わってはいないのだが、少しでも他人の役に立てる(例えば、上司の抱えていた仕事を受け持って負担を軽減できるとか)のがどれだけ幸せなことか。休んでいた頃の罪悪感から解き放たれたのに加え、普通に頭と体を動かして仕事ができることへの自信が相乗効果をもたらして、体調も快方へ向かっている感じがする。

 なにより嬉しかったのは、会社に私の回復を待ってくれていた人たちが思いの外たくさんいたことだった。職場で一番仲の良い人は「●●さんがここに居てくれるだけでいいんです」と言ってくれた。東京出身の余所者であるにもかかわらず、私のことをよく気遣ってくれていた他部署の人たちも、電話口で「元気になってよかった」と喜んでくれた。私は恵まれている。その人たちへの恩義を無碍にして、簡単に仕事を辞めるわけにはいかない。

 どうやら、私にとっては「ここで仕事をしている自分」を快く受け容れることが、健康に仕事をしていくための一番の鍵だったらしい。受け容れられなかった理由はいくつか具体的に挙げられるが、私の心の奥に巣食っていた「模範的な幸福」への執着が、一切の根源であるように思う。

 私にとっての「模範的な幸福」とは、天真爛漫な性格に育ち常に多くの友人に囲まれ、学校の掲げる文武両道の標語に乗っかって勉強も部活も一流!*1 の高校生活を送り、現役で希望の大学に進学した後は大学1年の終わりごろに彼氏ができ、19歳の誕生日ごろに処女を卒業し、オシャレなカフェとかバーとかでバイトして看板娘として持て囃されながら、就活でも天賦のコミュ力で都心にオフィスを構える有名企業に入り、充実した社会人生活のなかで、入社2年目ごろに学生時代からの彼氏と入籍――それ以降のライフステージについては、まだ具体的に想像が及ばないので記述しないが、概ねこんなところである。

 では、実際のところはどうだったか。私は元来運動ができない日陰者で、高校ではクラスに馴染めず不登校になりかけて勉強にも集中できず浪人、第2志望の大学に入った後に彼氏(だと私が思い込んでいただけかもしれない)はできたがほとんど何事もなく終わり、処女は23歳の頃に知人男性に頼み込んで捨てさせてもらい、ブラックな中華料理屋のキッチンで生傷の絶えないバイトをして、就活ではよく知らない田舎の企業に見事内定を果たし、ヤバい上司の瘴気に当てられてうつ病になり、結婚の見込みはない。

 書き出してみると散々で、執着があったくせして「模範的な幸福」に26年間一度たりとも接近しなかった現実が浮き彫りになる。なぜ接近できなかったかについては、既に答えが出ている。「模範的な幸福」に近づくための行動を取ると、だいたい裏目に出て不幸になるのである。

 例えば、高校でクラスに馴染めなくなった原因は、ワンランク上のスクールカーストの女子たちと仲良くなろうとして、リーダー格の女子の癇に障ったためであったし、大学時代にできた彼氏とろくに心の交流ができなかった理由も、恋人ができてから一定の期間内に性交渉を遂げる理想にとらわれ、人間としての彼と真摯に向き合えていなかったからだった。

 さらに言えば、上で自嘲気味に並べ立てた人生の断章は、ほとんどが自分の意思にしたがって選んできた結果の産物である。浪人しても進学を果たせなかった志望校も、中華屋のキツいバイトを継続したのも、やってみたい仕事のために東京を離れたのも、私自身が100パーセント意思決定したと断言してよい。「模範的な幸福」に自分を寄せようとしての後悔はあっても、遠ざけての後悔は今まで一度もなかった。たぶん、私と「模範的な幸福」は致命的に相性が悪いのだ。

 これからの私にとって必要なのは「模範的な幸福」の呪縛から逃れること、そして、世の中に追い立てられても誰かの作った模範の型に自分を嵌めこまないことだ。「アラサー」なんかは世の中が作った模範型の最たるものなので、自虐で周囲の笑いを取る場合であっても、絶対にこの言葉を使うまいと思う。

 しかし、田舎で働き続けることが私にとって幸福であったとしても、ここが田舎である以上、20代後半以降の独身者にかかる圧力は、都会のそれよりも重苦しいことを覚悟しなくてはならない。強く生きていけ。

*1:私の出身高校の標語(実際には「勉強も行事も一流!」だったかも)だった。中学の担任からは同じくらいの偏差値でもっと穏やかな校風の学校を勧められたのに、高校デビューを果たしたい一心で一流(笑)の学校を選んでしまった。私は昔から浅ましい。