「おしかけ女房」の受難

 遠距離の恋人の家で家事代行をやっている。これで5日目。休職している職場に若干の後ろめたさを感じながらも、まとまった期間寝食をともにできるのは今しかないし、一人で休んでいるのと生活に大差はないだろうと判断して、思いきって自宅を飛び出した。

 彼は日々激務に追われる典型的企業戦士だ。異常な労働時間と劣悪な職場環境に耐える対価としてそれなりの賃金を獲得しているようである。ちっとも過酷じゃない仕事で鬱を拗らせた私の目には、新卒で入った会社で穏やかに労働を続けられる同い年の恋人が、時にまぶしく映る。

 そんな状況にもかかわらず、彼が心身の健康を保っているのはなぜか。私は彼の牙城に足を踏み入れてすぐ、その秘訣が「家事の放棄」にあるのを目の当たりにした。

 むろん、家に上がり込むのは今回が初めてではない。前回は社員寮から引っ越して間もない頃だったので、まあ男子の家ならこんなもんか、と納得できる程度に収まっていた。では今回はというと、未然にいくらか下方修正した私の予想をはるかに下回ってくる有様で、私は思わず声をあげた。詳しい描写を控える代わりに、彼の部屋の掃除によって、ある種の教養と教訓が何点か身についたということだけ記しておく。

 家主が働いている間に使用人が家事を片付けるという、いわば「逃げるは恥だが役に立つ」風の生活は、意外にも労働と同様の充足感と疲労感がともなう。もっとも、文系修士卒で実質無職という点においては、私はあのドラマの主人公と共通している(ただし、相貌については愛嬌と均整が失われたガッキーを想像してもらいたい)ので、結局行き着く先はここなのか、というごく個人的な虚しさもある。日中は自由に過ごせるから気楽なものだが、毎日洗濯機をまわし、部屋の隅まで清掃し、栄養バランスを考えた食事を整えていると、家事も立派な仕事だということを改めて認識させられる。

 世の中の主婦たちは、これに加えて子供の世話や会社での労働までやってのけるのだから恐ろしい。現在の私は、たとえ心が健康であっても音を上げると思う。おしかけてはみたものの、女房への道はまだ果てしなく長かった。