山田詠美『ぼくは勉強ができない』

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

新潮文庫の100冊」の常連である本書の存在は昔から知っていたが、同キャンペーンの主たるターゲットだった中高生の頃は、学校の教師がいかにも好き好んで推薦してきそうなタイトルがどうにも受け入れがたかった。

 この『ぼくは勉強ができない』という、道徳的で教訓じみた臭いがプンプン漂ってくるタイトルを「お前が勉強苦手なのはわかったが、せめて読書でもしてみたらどうだ。ホラ、この本なんか今のお前にピッタリだぞ」なんて押し付けられたら、次の日から不登校になってやりたくなる。

 ところが、20代も後半に差し掛かった今、やはり「新潮文庫の100冊」がきっかけで手に取ったら、当初の印象が覆った。

 読み始めは、主人公の秀美(表紙のイラストのようなイメージの、大人びたイケメン高校生)が、ガリ勉委員長や難解な空想に耽るサッカー部員を打ち負かすのが小憎らしかったが、バーで働く年上の恋人・桃子さんに惑わされる場面から、ふっと秀美の視点に引き込まれた。

 その後からはもう、秀美の視点から見る世界がひたすら鮮やかで面白い。特に、天然キャラでモテる美少女を評して「磨きたてたうなじ」という言葉が出てきたのが印象的だった。うなじなんてどうやって磨きあげるのか全く見当がつかない。他の男子が顔や手足にうっとりと見惚れている間に、秀美はうなじから彼女らの計算高さを看破するのだ。

 秀美の一人称から三人称に変わる番外編「眠れる分度器」では、秀美ではなく著者・山田詠美の鋭さが光る。本編中ではイマイチ影が薄かった祖父が、ここに来て急に存在感を増して、読者の心に爪痕を残す。過去に一部分がセンター試験で出題されたそうだが、問題と解答で消化させてはくれない人間社会の複雑さが、この掌編には濃縮されているように思う。

 後書きで著者は、この本は大人に読んでもらいたい、と書いている。確かに、自他の区別があいまいな状態の若い子に読ませるのは危険だ。秀美という奔放なイケメンの人間性を全肯定するこの物語は、努力の積み重ねで周囲の期待に応えるしかない優等生のアイデンティティを崩壊させかねない。高校生の頃の私が読んだら、たぶん放り投げている。

 したがって、『ぼくは勉強ができない』というタイトルに拒絶反応が出た若い皆さんは、読むのを10年待ったほうが良いと思う。10年経って、狭くて暑苦しい青春が懐かしくなった頃に読んでみてほしい。