脱法ハーブと握手会に救いを求めよ

 復職2ヶ月目。病院では薬を減らされ、傍目には健康そのものに見えるのだろうが、綱渡りの日々である。

 休職前は始業1時間前だった出勤時間は始業20分前を決して早まらなくなったし、ひどいときには5分前になることすらある。というか今日がそれだった。若干の寝坊をしてさすがにヤバいかなあと思いながらも、家でダラダラと推しアイドルの動画を見る充電タイムは省略できなかった。車を飛ばして職場の扉を蹴破って出勤した。これからどんどん職場の外壁を自慢の愛車でブチ壊していこうな。世界を変える方法は破壊しかない。

 

 さて、実を言うと私は大森靖子のファンである。ファンといっても今まではCDを聴いてTwitterとブログを閲覧する程度で、生歌を聴いたことすらなかった。ところが今年に入ってうつ病になり、彼女の歌から受ける功徳が一層高まってきたので、最新アルバムに封入されていた応募券で思い切ってワンマンライブのチケットを取った。ライブ映像はYoutubeやCDについている特典DVDで何度か見ているので、この楽曲はライブアレンジだとこんな感じかな~とか想像してワクワクしていた。

 しかし、このほど職場のシフト希望調査の段階で、ライブ当日に出勤しなくてはならない可能性が浮上した。結果的にライブには行ける(ただし午前中は労働して、ギリギリ会場に着くスケジュール)ことになったのだが、出勤が決まりかけてからの私の落ち込みがすさまじかった。

 私が出勤する理由は別の職員が休みを取るための穴埋めだったのだが、その人に休む理由を尋ねたら「子どもの発表会。最終学年なので、来年がないんです。どうしても外せません」と言われた。「子ども」は独身者のありとあらゆる都合を吹き飛ばす魔法の呪文であるから、言われたそのときは即座に納得した。

 が、その10秒後に強く反駁した。

「は??? 私にとっての大森靖子のライブも『今年中に行くことに意味がある』から『来年はない』んで……っつーか『来年はない』なんて言ったってどうせそのキッズ、余裕で来年も元気に生きてるでしょ???  私の方がたぶん来年死んでる確率、高いよね???」

 幸いにして上記の暴言は私の脳内で留まったが、あとになって「自分には社会通念や道徳が欠如しているのでは」と猛省した。私の本音は常に汚れていて、フィルターを通さなければ社会へ発信できない。後味の悪さが残った。

 

 私はやはり、好きなアイドルやミュージシャンの現場に行くことでしか自分の呼吸を整えられない弱い人間である。本当は恋か仕事で満たされるべきなんだろうよ20代後半の女。とにかく、「脱法ハーブ 握手会」と声を絞り出す大森さんだけを、今は楽しみにしています(この歌がセットリストに入っているかどうかは知らない)。

暴れる上長、キレる上司

 書きかけの下書きが溜まっているが、私にとって結構衝撃的な出来事があったので、こちらを先に投稿する。

 

 弊部署の朝礼には、上長がお気持ち表明をする時間が毎日設けられている。前置きとして語られる具体的事例は毎回異なるが、結論である「お気持ち」は決まって「以上の事項は、これまで一切検討されてこなかったと推測される。今後は情報収集に努め、積極的に改善策を提案すべきである。お前らは怠慢を自覚して反省せよ」といったような内容である。

 私がうつ病になった一因が、この上長だった。上長は仕事をしない。表面上仕事をしているふりをして、波風立てずに定年までやり過ごそうというならまだしも、彼はあらゆる既定事項を特段の理由もなくひっくり返しては、部下にその始末を押し付ける。そして、挙げ句の果ては業務時間内に外に落ちている木の実で工作を作り、無駄な業務に追われる部下へ見せびらかし、称賛の言葉を求めてくるのである。今でこそ(生活を維持するために)「わあ、上手ですね~~~!!!」と、普段よりワントーン高い自動音声を再生できるようになったが、かつては、このクソ野郎を論理的に捻じ伏せられない自分はなんて愚かなんだ、などと考えていた。

 

 本日の上長お気持ち表明では、今後実施予定のとある事業が取り上げられた。これも例に漏れず、既に決定していた構想を上長によって白紙に戻された一件だった。それをあろうことか、白紙にする前の構想に戻すべきだ、と提案するのである。

 おそらく上長自身は、この提案が白紙に戻す前の状態と同じであるとは気付いておらず、現状を打ち破る画期的な新提案として発言していたようだった。私は目眩がした。他者の意見を聞き入れるつもりの無い上長の「お気持ち」は、結果として絶対的な強制力をもつ。またしても職業倫理的に苦しい仕事を無気力に捌き、起き上がれないほどの抑うつに陥らねばならないのか。部屋中の職員が私と同様に下を向き、一切首を振るまいと体を硬直させていた。が、話が終わった瞬間、普段穏やかな上司の鋭い声が響き渡った。

「そんなの無理ですよ。何度ひっくり返せば気が済むのですか。これでは職員が萎縮して当然です」

 私は瞠目した。強い語気にさすがの上長も狼狽えて「待て、話は後で聞く」と引き下がった。その後、上司と私とで小一時間上長と面談し、本日の「お気持ち」に一応の決着をつけた。面談の中では、上長が若い頃に受けた仕打ちを部下に対して再現していることが判明し、呆れて何も言えなくなった。

 

 この件で私は、人がキレる瞬間に生まれて初めて学びを得た。上司が言葉を発した瞬間、稲妻が走るように空気が張り詰めた。穏やかな人物が感情を表に出すと、これほどの圧倒的な力で場を制圧するのか、と気付かされた。同時に、上司と正反対の性格で生きてきた上長が、この力を一生手に入れられないことを哀れに思った。

 加えて、「萎縮した職員」とは間違いなく私のことである。私は上司の強さに守られている。良心に背く事業で腐心しても、上司の良心だけは決して裏切ってはならない。

風と稲穂の指定席に座りたい

 忙殺されている。忙殺された結果、今日は一日中頭痛に悩まされ、頭が回らず苦しんでいた。明日の正午までにやらねばならないことがあるのに、頭痛と寒さに耐えかねて帰ってきてしまった。

 今日は私にとって26歳最後の日らしい。友人から連絡が来て誕生日が迫っているのに気がついた。特に感慨がない。これから先は淡々と年をとっていくのだろう。あっという間に50歳くらいになっていそうである。希死念慮に度々苛まれる私がそこまで生きていられるかどうかはさておき。

 最近またGOING UNDER GROUNDにハマり始めた。最新アルバムの「真夏の目撃者」がなかなか名盤。今の曲もいいけど、やはり「トワイライト」に対する思い入れは格別で、この季節になると聴かずにいられない。明日あたり仕事投げ出して風と稲穂の指定席に座りにいきたいですね。なんせ誕生日だし。

養老天命反転地に行った

 今週中に有給休暇を取れというお達しがあったので、苦しみに満ちた天命を反転させるべく、養老天命反転地に行ってきた。何年も前から行ってみたいと思ってはいたが、どうも辺鄙な場所にあるらしいというイメージから、現実にはなかなか足が向かなかった。

 養老天命反転地のある岐阜県養老郡養老町は、これだけの大規模施設ができるだけあって、たしかに何もない*1田舎町である。何もない田舎町の観光地といえば、(ローカル線の)駅からバス30分とか、ひどい場合には路線バスすらなくてわざわざタクシーを呼ばねばならないような、旅行者泣かせの僻地に存在しがちだが、この養老天命反転地は、桑名と大垣を結ぶ養老鉄道の最寄駅から徒歩約10分という驚きの好立地であり、運転免許を持たないイマドキの都会っ子にも優しい。さらに補足すれば、桑名も大垣も名古屋駅から30〜40分圏内なので、首都圏および京阪神からの到達難易度は意外と低い。気になっている人は「きっとヤバイ田舎にあるに違いない」という先入観を捨てて、一度交通経路を調べてみた方が良いかもしれない。

 

 さて、肝心の現地の感想だが、まずなにより回るのにメチャクチャ疲れた。設計者である荒川修作とマドリン・ギンズの狙いに忠実になって歩き廻っていると、大した歩行距離ではないにもかかわらず、かなり疲れてくる。不安定な構造物を眺めながら細かな起伏のある斜面を行きつ戻りつしていると、人の平衡感覚は簡単に狂ってくることがよくわかる。しかし、同時間帯に入った大学生くらいの集団はいつまでも楽しそうにはしゃいでいたので、これは20代後半という私の年齢のせいもあるかもしれない。休憩のために園内の自販機で飲み物を買ったが、品薄で希望の商品が売り切れていた。あらかじめ飲料は調達しておくべきだった。

 また、1995年の開園から23年が経過しているため、ところどころB級スポットっぽいスメルが漂い始めている。来園者が最初に体験することになる《極限で似るものの家》は、地面に描かれた地図に構造物からの錆が落ちており、いまいち精彩さを欠いていた。ここだけでなく、全体的に金属の構造物には錆つきが目立ちつつある。園内は隘路まで清掃が行き届いていて、修繕も何度かされている様子だったが、経年による印象変化はどうしても避けられないようである。

 もうひとつ気になったのが「頭上注意」や「立入禁止」のサインボードである。このような表示は、養老天命反転地に限らず、公共物としての役割を付与されたありとあらゆる事物にとって避けられない宿命で、すなわち仕方のないことなのだが、これがB級スポット感に拍車をかけている。近年問題視されている、案内板や機械のボタンにテプラを貼る、いわゆる「デザインの敗北」の光景を彷彿とさせた。

 けれども、これによって来園者の事故、ひいては施設そのものに対する批判を防いでいるのだから、サインボードを「芸術の敗北」などと呼ぶのは不適当で失礼である。それだけでなく、ヘルメットやスニーカーの貸出もなんと無料で行なわれていた。確かに、子どもが調子に乗って走り回ったら危険だろうなと思われる箇所は少なくなく、何もなかった開園当初には事故が多発したのではないか。こうした運営努力がなかったら、早々に閉園して、今ごろ本当にB級なだけの廃墟になっていたかもしれない。 

 

 ここまでわりとネガティブなことばかり書き連ねてしまったが、総評とすればとても楽しかった。テレビ番組で養老天命反転地が紹介されている映像を何度も見てきたが、実際に行って体感したのとはだいぶ印象が違って、入園料たったの750円で得難い経験ができた。このご時世にこれほど、映像を見たり誰かが書いたレポートを読んだりして「行ったつもり」になれない施設も珍しいと思う。

 ただし、行ったつもりになれない弊害として「案外インスタ映えしない」ことにも付言しておきたい。私もiPhoneで何枚か写真を撮ったが、眼の前の景物を良いように切り取るのが驚くほど難しかった。園内の高所から俯瞰したショットはその辺の公園と大差ないような感じに写ってしまったし、構造物の内部にある家具などは、構造上引きでの撮影が困難で、臨場感皆無の何がなんだか分からない写真になってしまった。

 帰った後でインスタグラムでインスタグラマーたちの撮った写真を検索してみたら、8割がた「養老天命反転地記念館(オフィス)*2」の写真だったのには笑った。良くてバラガン邸、悪いものは原宿のゆめかわなショップみたいなノリで加工が施されていて、本質というか面白みが全く失われていた。所詮はSNSだからそれで良いのだろうし、逆に開園から23年経った今、当時からは想像もつかないようなテクノロジーやガジェットが普及し尽くしてもなお、荒川とギンズの構想を体験するには養老天命反転地へ実際に足を運ばなくてはならないということの証左にもなっている。作品(施設)価値の補強に、図らずもインスタグラマーが加担しているのは興味深い。

  ともあれ、私の住む田舎からの移動距離の長さにうんざりはしたが(文頭で書いたこととやや矛盾している)、行って良かった。今度行くときは大学生みたいに、大きい車でキャッキャ言いながら移動したいし、キャッキャしながら足を滑らせて周りから大笑いされたい。明日からも変わらず孤独に生きていく。

*1:無知な都会人に対し、地方出身者が「ウチの地元は何もないですよ〜」と謙遜して言うレベルの「何もなさ」であり、所謂「秘境」のようなところではない。名神高速のICや大規模商業施設が近くにあり、なにより名古屋が近いので、マイカーさえあればかなり便利な場所だと思う。

*2:開園の翌年にオープンした、荒川+ギンズによる建物。設計段階の模型やスケッチなどが展示されている。内部はピンクや黄色に塗られた迷路のようになっており、同施設唯一のインスタ映えスポットといえる。

ツイッターをやめた

 ツイッターをやめた。多分完全に断絶はできないので、アカウント復活させたら「またメンヘラ構ってちゃんかよ」と嘲笑してください。

 

 今週の台風で親しい人が罹災したので、ツイッターでその地域の情報を検索欄から拾って眺めていた。地域の給電・給水スポット等の有益な情報もちらほらヒットしたものの、その大半が行政やインフラに対する罵詈雑言で、流れてくる言葉にどんどん気が滅入ってきた。自分もそれらに多少関係する仕事をしていて、しかも直近に仕事で同じような種類のクレーム電話を執拗に受けていたので、余計に神経質になっていたのもある。私はすぐさま、それらの罵詈雑言に対する罵詈雑言を鍵アカに書き散らした。

 すると、ある人から私の行き過ぎた発言を指摘するエアリプを頂いた。これが本当にもっともで、その場で摩耗している人たちに対する想像力と配慮を欠いていたと思う。それと同時に、私の内にある意地の悪さとか差別感覚とか汚いものが一気に浮かび上がってきて、「こんなんでよく二十数年ものうのうと生きてこられたな」と深く自省した。そんな中で今朝は北海道で大きな地震が起こり、テレビやネットで映像を見ているうちに、愚かな自分が平然と生きていることに嫌気がさしてきた。これ以上遠くの他人を傷つけたくないので、まずはツイッター脊髄反射的に発言するのをやめようと思った。

 こんな身勝手なブログの投稿で許されるわけがない。でも、公開ブログにこうしてお気持ち表明している時点で、認めてもらいたい下心を否定するわけにもいかない。私の場合は、近所の活火山が大規模噴火して、実際に生死の境に立たされるまで何も分からないのではないか。平たく言うとここ2日間は死にたくなっていたのだが、他人の苦しみが分かるまで死ぬべきではない。明日からも自分の愚かさとそこに尾ひれのようにくっついている抑うつ気分とともに生きていく。自分以外の誰にもこれ以上の苦しみがないことを祈ります。

アイドルのライブのライブ以外の感想

 昨日は推しているアイドルのライブのために日帰り上京した。復帰直後なのでもともと入る予定はなかったのだが、仕事が連休になったので急遽チケットを探して高速バスに飛び乗った。

 チケットを譲ってくれた人は、現場でかしましくしているオタクコミュニティには所属せず、一人でアイドルを追いかけている私の「お仲間」だった。今回は知り合いと連番で入る予定だったらしいが、ろくに説明もないままドタキャンされたのだという。静かに怒っていた。

 今回は席があまり良くなかったため(おそらくそれが一因となってドタキャンされたのではないかと思う)、連番者を含む両隣の男性は全力で振りコピ&推しジャンをやっていた。それに影響されて、というか半ば捨て鉢になって、普段は地蔵寄りの私も思い切り体を動かしてみた。アイドルを凝視するよりも実はこちらのほうが楽しいのかもしれない。地下アイドルの現場で楽曲と無関係のMIXを打つオタクの気持ちが初めて分かった。それと同時に、今年の春から続く今ツアーに3回参加した私が、アイドルのライブにあまり特別な感情を抱けなくなっていることにも気付いてしまった。

  認知も馴れ合いも望んでいない私にとって、この状況は危ない。仕事が辛すぎて、アイドルのライブに月1で通うことで呼吸を整えていたのが、アイドルを息長く応援するという目標においてはかえって裏目に出た。そうでなくとも、オタクが群れて声を大きくしているのを見ると疎外感を感じてなんとなく嫌な気持ちになるし、これからはライブに入る頻度を減らしたほうが良いような気がしてきた。

 とはいえ、アイドル自体は素晴らしかった。特に最後か楽曲はもともと思い入れが強いのもあって、聴きながら涙ぐんだ。私は彼女らの歌に心打たれ、生で歌を聴くためにオタクをやっている。その初心を決して忘れてはならないと胸に誓った。

 終演後、チケットを譲ってくれた人とは「またどこかの現場でお会いしましょう」と言って別れたが、今後お会いできたとしても私の性格からして話しかけられそうにないのが悲しい。

 駅までの道では、オタクグループがアフターに行く人を募ったり、居酒屋に電話をかけたりしていた。信号待ちで「●●(人気メンバー)の握手はもう取れないっすよ、これからは▲▲(私の推し)に入れますわ、それなら取れるんで」と話していた若いオタクに堪らなくなって思わず睨みつけたが、彼は仲間たちにご高説を垂れるのに夢中で、こちらに気付きはしなかった。

 しかし、まさに身銭を削ってオタクをやっている人たちにとっては、握手券の投機を読むことで最大限の「応援」を現実のものとするのがごく当たり前で、正しいことなのかもしれない。私のほうがよっぽど真剣になれていないと思った。

「模範的な幸福」の呪縛

 職場復帰してから約2週間が経過した。意外にも上手くやれている実感がある。もちろん、復帰直後の平社員なので大それた業務の遂行に関わってはいないのだが、少しでも他人の役に立てる(例えば、上司の抱えていた仕事を受け持って負担を軽減できるとか)のがどれだけ幸せなことか。休んでいた頃の罪悪感から解き放たれたのに加え、普通に頭と体を動かして仕事ができることへの自信が相乗効果をもたらして、体調も快方へ向かっている感じがする。

 なにより嬉しかったのは、会社に私の回復を待ってくれていた人たちが思いの外たくさんいたことだった。職場で一番仲の良い人は「●●さんがここに居てくれるだけでいいんです」と言ってくれた。東京出身の余所者であるにもかかわらず、私のことをよく気遣ってくれていた他部署の人たちも、電話口で「元気になってよかった」と喜んでくれた。私は恵まれている。その人たちへの恩義を無碍にして、簡単に仕事を辞めるわけにはいかない。

 どうやら、私にとっては「ここで仕事をしている自分」を快く受け容れることが、健康に仕事をしていくための一番の鍵だったらしい。受け容れられなかった理由はいくつか具体的に挙げられるが、私の心の奥に巣食っていた「模範的な幸福」への執着が、一切の根源であるように思う。

 私にとっての「模範的な幸福」とは、天真爛漫な性格に育ち常に多くの友人に囲まれ、学校の掲げる文武両道の標語に乗っかって勉強も部活も一流!*1 の高校生活を送り、現役で希望の大学に進学した後は大学1年の終わりごろに彼氏ができ、19歳の誕生日ごろに処女を卒業し、オシャレなカフェとかバーとかでバイトして看板娘として持て囃されながら、就活でも天賦のコミュ力で都心にオフィスを構える有名企業に入り、充実した社会人生活のなかで、入社2年目ごろに学生時代からの彼氏と入籍――それ以降のライフステージについては、まだ具体的に想像が及ばないので記述しないが、概ねこんなところである。

 では、実際のところはどうだったか。私は元来運動ができない日陰者で、高校ではクラスに馴染めず不登校になりかけて勉強にも集中できず浪人、第2志望の大学に入った後に彼氏(だと私が思い込んでいただけかもしれない)はできたがほとんど何事もなく終わり、処女は23歳の頃に知人男性に頼み込んで捨てさせてもらい、ブラックな中華料理屋のキッチンで生傷の絶えないバイトをして、就活ではよく知らない田舎の企業に見事内定を果たし、ヤバい上司の瘴気に当てられてうつ病になり、結婚の見込みはない。

 書き出してみると散々で、執着があったくせして「模範的な幸福」に26年間一度たりとも接近しなかった現実が浮き彫りになる。なぜ接近できなかったかについては、既に答えが出ている。「模範的な幸福」に近づくための行動を取ると、だいたい裏目に出て不幸になるのである。

 例えば、高校でクラスに馴染めなくなった原因は、ワンランク上のスクールカーストの女子たちと仲良くなろうとして、リーダー格の女子の癇に障ったためであったし、大学時代にできた彼氏とろくに心の交流ができなかった理由も、恋人ができてから一定の期間内に性交渉を遂げる理想にとらわれ、人間としての彼と真摯に向き合えていなかったからだった。

 さらに言えば、上で自嘲気味に並べ立てた人生の断章は、ほとんどが自分の意思にしたがって選んできた結果の産物である。浪人しても進学を果たせなかった志望校も、中華屋のキツいバイトを継続したのも、やってみたい仕事のために東京を離れたのも、私自身が100パーセント意思決定したと断言してよい。「模範的な幸福」に自分を寄せようとしての後悔はあっても、遠ざけての後悔は今まで一度もなかった。たぶん、私と「模範的な幸福」は致命的に相性が悪いのだ。

 これからの私にとって必要なのは「模範的な幸福」の呪縛から逃れること、そして、世の中に追い立てられても誰かの作った模範の型に自分を嵌めこまないことだ。「アラサー」なんかは世の中が作った模範型の最たるものなので、自虐で周囲の笑いを取る場合であっても、絶対にこの言葉を使うまいと思う。

 しかし、田舎で働き続けることが私にとって幸福であったとしても、ここが田舎である以上、20代後半以降の独身者にかかる圧力は、都会のそれよりも重苦しいことを覚悟しなくてはならない。強く生きていけ。

*1:私の出身高校の標語(実際には「勉強も行事も一流!」だったかも)だった。中学の担任からは同じくらいの偏差値でもっと穏やかな校風の学校を勧められたのに、高校デビューを果たしたい一心で一流(笑)の学校を選んでしまった。私は昔から浅ましい。